平高史也先生

DSC01063

平高 史也 Fumiya Hirataka
総合政策学部教授
政策・メディア研究科委員
【新入生へのメッセージ】
ドイツ語は学習するのが楽しいので、とにかくチャレンジしてみてほしいなと思います。そうするとその先に、ドイツの文化でも社会でも開けてくるものがある。しかもかなり短時間でドイツ語圏に行けるようになるから、ぜひそういった意味では、楽しんでほしいし、チャレンジしてみてほしいなと思います。

 

□先生のドイツ語学習・留学時代

 -まず、先生ご自身がドイツ語を学習されていた時のお話を伺いたいと思います。先生がドイツ語を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

僕は、大学入試の時にドイツ語を選ばなくてはいけなかったんです。つまり外語大のドイツ語学科を受けたので、高校の時に選んでいたんですよ。
高校の時の動機は単純なもので、理由が二つあってですね、一つは「クラシック音楽が好きだ」っていうことと、もう一つは、「高校の時の校長先生がドイツ人だったから」ということでした。

 -えっ、校長先生がドイツ人だったんですか?

イエズス会系の学校で、ドイツ人の神父さんだったんですよ。
その校長先生の影響が大きくて、ドイツ語を選んだんです。

-高校生の時から、ドイツ語を学ぶと決められていたんですね。

うーん、なんとなくですけどね、ドイツのこと良く知っていたわけではないし。

-そして、大学に入られてからも、専門でやられていたんですね。

そうですね。

 -その中で、留学と言うのは結構皆さんされるものだったのですか?

当時は、日本全国では留学というのはまだ少なかったですね。僕の行っていた 外語大では、当時の文部省の留学生の制度があって、それに応募しました。それで運よく通っったんですけど、一番最初にドイツに行ったのは、学部の3年の時でしたね。
3年の夏休みに、当時外語大 を中心に教えられていたドイツ人の先生が、30人くらいでみんなでドイツに行く、いわゆるドイツゼミというものをやっていて、6月の20日ごろから9月の20日まで3か月ドイツに行くって言うのがあったんです

-3か月も!

それが最初です。その時は、3か月のうち2か月はホームステイだったです。 最初の1ヶ月は団体で行って、ドイツのギムナジウム(※)の生徒と合宿みたいなものをやりました。それから2週間ほど、7月の始めくらいから皆バラバラになって ホームステイやって、ホームステイ先に8月くらいまでいて、またベルリンにみんなで集まって、パリに行 って、そのパリから帰ってくるという のをやりました 。
(※ギムナジウム…大学教育につながるドイツの中等学校)

-楽しそうですね。

それが僕の初めてのドイツ。その時のお世話になったホームステイ先の家庭とは未だにコンタクトがありますよ。残念ながらお母さん、僕のドイツのお母さんは亡くなってしまったんだけど、ドイツのお父さんは健在で、時々フェイスブックとかでやりとりしてるし、ドイツ行けば時間がある限りは会いますね。

-へえ !

それが最初なんですが、当時は9月の20日くらいにドイツから帰ってきて、でも僕は10月の1日から留学が決まっていたんですよ。でも当時の文部省の決まりで、一回返ってこなきゃいけないと。わずか10日くらいのために一回帰ってきて、それから一年間、ドイツに行きました。
それはギーセンという町で、10月から、次の年の9月まで一年間留学しました。

-留学されて、最初どうでしたか?

そのときもホームステイで、それは別の家庭にお世話になりました。1年先輩がギーセンに行ってたので、大学のことを教えてもらったり。家庭も、その先輩とおんなじところに住まわせてもらったので、そういった意味では色々と、楽だったんですけども。

-はい

ただやっぱり授業がさっぱり分かんなかった。
未だに覚えているんだけど、ほんっとにわかんなくて。10月の最初に、ドイツ文学専門の文学科の一年生向けの授業に出たんです。ドイツ人向けの授業だから、内容も結構高度だったと思います。
それにしても、2年半外語大でドイツ語勉強して、最初の二年間はね、週6コマやってました。やっていたんですけど、2年半やって、実質3か月くらいヨーロッパに行ったにもかかわらず、授業出たらわかんなかったです。

最初の3か月はほんとに 特に10月 、11月は辛かったですね。
もし、一人で住んでいたら厳しかったかもしれない。家庭にいたので、子供と遊んだりということが出来たし、丁度12月ごろになるとアドベント(※)になって街がクリスマスに向かって華やいでくるじゃないですか。そうなると少し気持ちも 温かくなってくるというかですね。
でも授業の分からなさと言ったらほんとに、90%くらいわからなかったんじゃないですかね
(※アドベント…11月30日に一番近い日曜日から、クリスマス前までの、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)

-では留学の中で一番つらかったことというと、やっぱり「わからなかったこと」になるんですかね?

そう、そうね、やっぱりそれが一番つらかったですね

-これを乗り越えられたのも、やっぱり周囲の人の助けがあったから…?

そうですね。ホームステイ先の方とか、それに割に早く友達が出来ました。一緒にレポート書いてくれたりとかした人がいたので、グループワークみたいな形で出させてもらったね。だからそういう意味では友達がいたのは、助かった。

-留学して一番インパクトに残ったことなどはありますか?

一番インパクトに残ったのは、ドイツ人が日本のことを知らないこと。そういうことが分かったのと、それに対して自分が説明できないというのが分かったこと。それが一番インパクトがあった。色々なことに対して「日本でどうなの?」ってことを聞かれる 。どんなものを食べるかとか、どんな歌が流行っているかっていう話から、たとえば保険の、医療保険の制度とか、いろいろなこと。すべてのことを聞かれるんだけども、それで、ドイツ人が言っていることはおかしいってことはわかるんだけどそれに対して答えられない。

外から日本のことを見たり自分を見たりするのは初めてだったので、それはとっても良かったと思います。でも日本のことを知らないんだなっていう自分が、それがやっぱり非常に分かって。
それまで20年間僕は、だいたいドイツの音楽が好きだとか、ドイツ人の校長先生とか、西洋のもの・ドイツのものを自分で吸収するってことをずっとやってきたんだけど、

もしかしたら、自分のやる事っていうのは逆のことで、「日本のことをドイツ人に紹介する」のが自分の仕事なのかなってことを、初めて思ったんですよ

その時海外なんて言ったら僕はドイツしか知らなかった。だから 自分がやるべきことは、ドイツのことを日本に吸収したりするということと逆のことなのかなって思ったのね。その留学のときに、思ったことが一番、僕はその後の人生にとって一番大きかったって思う。

-いまだにやっぱり、そういう風に思いますか?

うん。だから今、日本語教えてるなんてことは、そこが理由だと思う。
つまりドイツ語を自分が勉強するんじゃなくて、ドイツ人に日本の文化の紹介や日本語教えるとかっていうことの方が自分の仕事になるのかなっていうのを、一番最初に考え始めたっていうのが留学の時ですね

-やっぱり留学は色んなことが実感できるんですね

そうですね。それからやっぱり、僕が留学したのはもう40年くらい前のことで、それでギーセンていう町も小さいんですよ。当時人口がね、6万人くらいかな。それで学生が1万とか言ってたから、日本人は本当にいなかったですね。たぶん5,6人いたんだと思うんだけど、僕はホームステイしてるし、学生には日本人がいなかったので、日本語はほとんど使わなかったですね。

- それはすごい体験ですね

うん、もしかしたら今はなかなか出来ない体験かもしれない。

□教師になってから

-日本で、ドイツ語を初めて教えることになったのはいつですか?

初めて教えたのはですね、大学院出た後です。母校と他の私立の大学で、非常勤で教えてました。
ただ僕は卒業してから就職したのが東海大学なんですけど、東海大学では日本語を教えてたんですよ。東海大学には9年間いたんですけど、僕はドイツ語を一時間も教えてません。
東海大学では教えてないんですけど他の大学の非常勤で数年間、ドイツ語を教えていました。
最初に就職してからSFCに来るまで9年間、東海大学でお世話になったんですけど、その間2年ドイツに行っていたのを抜かすと、圧倒的に日本語を教えていた期間の方が長いです。ドイツ語を本格的に教え始めたのはSFCに来てからですね。

-SFCでドイツ語を教え始めたきっかけみたいなものはありますか?

きっかけは、その東海大学時代に学会の仕事をしていて、僕のSFCに入った時のすぐ上の上司にあたる関口一郎先生という方が、「今度慶應で新しい学部創るんだけどこないか」って誘ってくださって、それで、SFCに移ることになりました。来ないかって誘われたのはSFCが出来る2年ちょっと前くらいですね。

-日本語を教えなくなるということに対して、抵抗みたいなものは特にはなかったんですか?

それはありました。あったので、関口先生と話をしている時に「僕はドイツ語もやりたいけど日本語も教えたい」という話はしたんですね。そしたら、「じゃあ両方やったらいい」ということになって。一応ドイツ語の所属ではあったんだけども、SFCで日本語も教えるっていうことでずっとやってました。

幸か不幸かSFCって最初の10数年は留学生がすごく少なかったんですよ。なので、僕と、あとちょっと前におやめになった中国語の重松先生という方が、お互い日本語もやっていたので、ちょっとずつ力を出し合って、日本語の授業もやりましょうということでやってたんですよ。だから去年の9月までは、日本語を専門でやる先生っていなかったんですよ。

-あっ、そうだったんですね

そう。そんな形で僕と 重松先生とでやっていました。僕も日本語をやりたかった。ドイツ語だけにしないで。それはこれまでずっとそうなっちゃって、今日まで相変わらずでやっています。

□SFCのドイツ語

-当時から、SFCのドイツ語の教え方というのは他と違っていたんですか?

それは、そうですね。
SFCの外国語教育の理念というものを作ったのは鈴木孝夫生だと言われています。それから実践面では関口一郎先生がやっぱり中心になって、SFCの外国語教育のコンセプトを作りました。ドイツ語は全くもう関口先生(が作られたもの)です。

今やっているモデレ(※)なんかも、関口先生が最初にお作りになった教材と、大筋は変わってないです。一番大きく変わったのは、モデレっていう教科書になったという点ですね。最初の数年はプリントを配ってやっていたのが、教科書になりました。その形が一番違うけど、「発信型のドイツ語教育」だとか、キーセンテンスだとかスケッチだとかっていうのは、関口先生がお作りになったものを、そのまま今でも継いでいる形ですね。基本的には変わらないですね。
(※SFCのドイツ語の授業で使われている教科書)

-じゃあ、「この形が良いから、変わらない」っていうことなのでしょうか

そうですね。特に初めのうちはSFCって、今は想像できないかもしれませんが、一年目は一年生しかいなかったでしょ。だから最初の四年間って、学部生しかいなかったわけですよ。大学院なんかはそのあと出来ているから。学部生しかいないっていうときに何やるかっていうと、「教育」をやるわけですよ。つまり学生と一緒に研究できるレベルじゃないから。だから、最初のうち、とにかくSFCが1990年代の前半に大学改革の脚光を浴びたっていうのは、「教育」で注目されたんですよ。
それからコンピューター。あんなに大学にコンピューターがあるっていうのは他になかったので。あと僕が本当に大きいと思っているのは「体育」。つまり体育と外国語とそれからインターネットですよね。それが大学改革を引っ張ったということで、そういう意味では、ドイツ語教育なんかも当時は、間違いなく先端を走っていた。関口先生のやり方を、見に来たいって言う人が、たくさんおられました。学会なんかでも色々、「どういう教材使っているんだ」「カリキュラムはどうなっているんだ」ということをよく聞かれたし、そしてそれを真似して取り入れた大学が結構あちこちに、当時ありましたね。一週間ここに泊まり込みで、一週間の授業全部見に来た先生とかもいたね(笑

-えー!すごいですねえ。それぐらい珍しかったっていうことですよね。その中でSFCのドイツ語の、ズバリここがいいんだっていうのは、どういうところになるでしょうか?

そうですねえ。やっぱりインテンシブ。それから、あとやっぱりもともとの「発信型」、特にその話し言葉、音声のコミュニケーションに力を入れているというところが、良いのかなと思いますね。
それにSFCの学生は割に コミュニケーションするのが好きな学生が多いよね。自分からどんどん発言したり、それからグループワークなんかを積極的にやろうっていう、キャンパスのカルチャーが有りますよね。そういうところにドイツ語だけじゃなくて、ほかの言語も貢献してると思うし、そういうのを作っていったっていうのはあるから、やっぱり発信型のドイツ語教育っていうのは重要だね。
そしてそれを中心に出しているのがインテンシブ。それからまた、ユニークな のは、「海外研修」。海外研修を一人でやるっていうのが、あまり他でやってないことですね。

-そうですね。やっぱりちょっと驚かれますね。私もドイツに行った時に他大学の学生が皆で来てて、「一人で来たの!?」って言われました。

そうですよね。やっぱり言葉の勉強だけじゃなくて、飛行機に乗るところから一人だっていう経験というのは、多くの人にとっては初めてだと思う。空港に降り立って、その研修地まで行くのもね、一人でしょ。だからちょっと勇気のいる事だと思うんだよね。そういうのって大事なんじゃないですかね。

-そうですね

それとあとは、少しずつうまく出来ているんじゃないかなあと思うのは、ドイツ語を使って、色んな国で活躍している人が、出てきているということですよね。まだ卒業生20年くらいしかいないんだけど、環境問題、デザイン、あとはアートとかで卒業生が活躍している場面が出てきています。これも、SFCのドイツ語が貢献しているところであり、成果かなと思いますけどね。

-そうですね。ふっと面白いなと思ったのが、ドイツ語が専門というわけではなくて、他に専門があってドイツ語が使えるっていうのは、とても可能性が広がることですよね。

そうそう。言葉を専門にするのは言語の研究者か通訳ぐらいしかないですよね。でもここは所謂 ドイツ文学科ではないので、ドイツ語を使って別の専門をどう組み合わせるか、活かしていくかということが言 われてくるよね。ドイツ語だけではなくて英語とかも使うだろうし、そうすると最低限日本語と英語とドイツ語を使って、自分の専門をどういう風にするかということに結び付けていくかっていうことですよね。
そういうこと考えると、今実際にフェイスブックで、ドイツで活躍している卒業生の活動がほとんど毎日入ってくるし、結構あちこちで色んなことやっている人いるなっていうのが分かりますよね。

-先生ご自身がドイツ語を教える時に、気を付けていることとか、意識されていることってありますか?

ぼくはとにかくね、ちょっとこれは僕の良い所と悪い所と両方だと思うんですけど、「話し言葉で、相手に意図を伝える」っていうこと。これをまあ、それがまず第一に出来るっていうことが大事なのかな。だから、ドイツ語も別に間違ってても良いし、でも本当に相手にも自分の意図を伝える、そして相手のことも理解できるっていう、このところがやっぱり本当に大事なのかなと思います。だからそれを注意してやっているので、まあ極端に言うと、極端に言うとですよ、文法なんてどうでもいいっていうか。文法教えている人がこういうこといっちゃいけないんだけど。文法をきちっとマスターしているということではなくて、文法を使って、相手に自分の意図を伝えるということ。あるいは、その文法を使って相手の意図を正しく理解するということだと思うので。

-これは、特に日本人が苦手な部分でもありますよね。

そうなんですよ。ちょっと学生の弱点だなと思う。SFCのドイツ語教育も100点満点ではないので、 問題はあるんですけどね。(SFCの方は)読むとか書くとかにきちっと力を入れられていないんですよね。その辺はちょっと弱い所だと思うけどね。
ただやはり日本人が、まさに妹島さんが言ったように、日本人が弱い所をまずは克服する。だからやっぱり海外研修行った人もね、結構物おじせずにコミュニケーションして、友達を作って帰ってくる人多いじゃないですか。それはやっぱり大事なことじゃないかなと思いますね。

-そうですね。文法とかはあとでも入れられますもんね。
例えばこう、今の履修者でも、来年入ってくる履修者でもいいんですけど、履修者に求めることっていうのはありますか?

履修者に求めること、やっぱりドイツ語を使って、コミュニケーションを取るとか、人と交流すること、そういうことを積極的にやってみてほしいなあって思いますね。たぶんそれをやっていくと、たとえば英語でもできるようになるだろうし、ほかの言語でも分野でも、たとえば人と人との接し方とか交流の仕方とかっていうのに、たぶんいい効果が出てくると思うんですよね。例えば学び方とか、異なるものへの接し方とかね。そういうものっていうのが、ほかの分野を学んだり、ほかの分野に接するときにも生きてくると思いますよ。

-では、今ちょうど後半に差し掛かってきているのですが、ちょっとマクロな質問になります。今ドイツ語を学ぶ意味っていうのは先生が考えていらっしゃる中でどういうものがありますでしょうか?

やっぱりドイツ関連のことをやろうとおもったらドイツ語は外せないだろうなって思う。ドイツ語圏の話だけではなくて、ヨーロッパ、とくにドイツでは、他のヨーロッパの国よりもヨーロッパっていうことを前面に出している国なので、だからヨーロッパを語ろうとする人、ヨーロッパで仕事したい人は、やっぱりドイツ語をやるのがいいのかなって思います。
他の言語になくてドイツ語にあるっていうのは、「ヨーロッパで話者の数が一番多い」ということ、それから「東西ヨーロッパの両方につながりをもっている」ということですね。ドイツは海外に植民地が少なかったからそういうのはないんだけど、東ヨーロッパへのつながりは、フランス語よりある。だからポーランドとかチェコとかハンガリーとか、そういう国々とのつながりっていうのはドイツ語圏 にはあります。だから ヨーロッパ全体を視野にいれようというときは、ドイツ語が良いのかなという風に思います。

-そうなんですね!ドイツ語を話している国も色々あると思うんですけど、ドイツ語圏の国の魅力っていうものは何か感じるものはありますか?

ドイツ語圏の魅力ですか。それはやっぱり文化、ですかね。僕は音楽が好きだっていうのがあったんですけど、ほかにも美術とか。音楽美術等を筆頭にした、文化的な側面は魅力かなと思います。あとは、 社会的な問題で言うと、環境問題とか、高齢化社会とか、都市計画とか、日本だけじゃなく世界で共有している問題 がありますよね。まあ安全保障なんかもあるかもしれないな。あと、魅力っていうとスポーツとか、車とかを好きな人はいるだろうし。今サッカーなんかも多いですよね、日本からドイツに行っている選手とか。

-そうですね。ドイツって少し日本と問題が似ているということだったのですが、日本人とドイツ人でここは違うなってことと、ここは似てるなってところがあったりしますか?

よく言われるのは真面目だとかね。それは確かにそうだろうなって思うね。あと違うなっていう所も結構あって、やっぱり彼らは意見をよく主張するし、僕ら日本人はあんまりそうじゃないですよね。それから、似てるところっていうと、勤勉だとか真面目だとかっていう所は言われますよね。生物的に結構違うんだろうなっていうところはありますね。特にドイツ人ってほら、暗くても全然大丈夫じゃないですか。

-そうですね!笑

λ409が真っ暗で、(ラインデル先生が)もう帰ったんだろうなって思うとまだいたりする。電気付けないでしょ 、 ドイツ人。彼等はサングラスなしでは夏は生活できないし、体も全然違う。あとは、食に対して彼らあんまり執着がない。

-似ていそうで、微妙に違っているところが、又面白いというか、

うん、やっぱり似てるか似てないかっていうのは結構個人差もあるので、一概には言えないと思うんですけどね。でも基本的に違う文化だから、人も変わってくると思いますけどね。

DSC01062

平高先生ありがとうございました!留学時代の経験が、今のお仕事にもつながっているというのは、留学生にとって、とても励みになる話なのではないかと思いました。また、SFCのドイツ語に最初から関わっていらっしゃる先生だからこそ分かる、SFCのドイツ語の良さを教えていただきました。”コミュニケーション主体”を謳うSFCのドイツ語の根源を垣間見たような気がしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です