2007年01月28日
どいつ文GO!れびゅー ”第6GO”
画像は公式ページより持ってきました。
しばし間が空きましたが、みなさまこんばんは!SA村野てっかんです。
まず時事ネタを。詳細は後ほどですが、春休みにドイ研SAを募集します。イベントやりたい!先生とお話したい!このブログ書きたい!志は人それぞれでしょうが、熱い想いがある人を歓迎します。一緒にドイ研を盛り上げましょう♪
さて自分はまだ春休みにはあと1週間、レポートが終わりません。そんなわけで春休み前の息抜きれびゅー。ただし、今回はまったく文章作品ではありません。むしろDVD紹介に属する・・・ご了承を。
マンガとアニメが出てる、『鋼の錬金術師』。それの劇場版、『シャンバラを征く者』です。あ、舞台は1920年台ドイツ。一応ドイ研と関係ありますからね^^;
アニメを見ていないと多少わかりにくい設定があるかもしれないので、少々説明を。
物語は2つの似た世界(パラレルワールドに近い)で展開されます。主人公エドがいるのが、1920年台のドイツ。1次大戦に敗れ、自信を失ったドイツ人の間でナチスが暗躍する姿が描かれています。一方弟アルがいるのが、錬金術の発達した世界。離れ離れの兄弟は互いの世界に行く努力をしているわけです。
ストーリーは見て感じていただきたいので、詳しくは述べません。なお劇中にドイツ語は2回しか話されませんでした。呪文1つ(zwischenしか聞き取れんかった・・・)と「Führer,Führer!(総統、総統!)」とヒトラーを煽る声。なので「ドイツ語を学びたい!」という人には不向きです(苦笑)そんなヤル気のある方はドイツ語合宿にてお会いしましょう!https://deutsch.sfc.keio.ac.jp/を御覧くだされ。
ただ街並みや社会情勢はよく表現されていると思いますね。ストーリーもテンポが良く、劇場で観たときと同じ所で涙しちゃいました><
自分が観たのは2年前の8月4日。海外研修出発の前日でした。初めての1人海外。そのドキドキとワクワクのるつぼの中で、これから行くドイツを思い浮かべたわけですな。劇中にエドが飛行機に乗って(2つの世界は「門」でつながっています)、弟の世界に行くシーンがあるんだけど、ぴったし自分に重なったね。明日から自分が生まれ育った日本とは違う世界に行くんだな、って。
そしてドイツに行ったとき、その一面に広がる草原と点在する街に、「あぁ、本当にこの風景を舞台にしたんだな」って感動しました。車窓から眺めた違う世界、日本を思い出して切なくなった。「でも自分は帰れる、だからこの貴重なときを楽しもう」って切なさを乗り越えた。
というわけで、今回も個人的なエピソードを披露してしまいましたが、まぁ思い入れのあることじゃなきゃ語れないから。
次回は、次回こそは、文GO!に戻ります。候補がまだないけど・・・んーもし見つからなかったModelleれびゅーをします。それは先生方に恐れ多いよね。。。
編集後記)今学期ドイツ語を履修してくださったみなさん、ブログを覗いてくださった方、ありがとうございました!来期に向けてブログもドイ研もバージョンアップします。また授業で、イベントで、ドイ研でzusammenしましょ~Tschüs! Auf Wiedersehen!!
投稿者 tekkan : 19:57 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月09日
どいつ文GO!れびゅー ”第5GO”
画像はhttp://www.saruyama-gamesoft.comとwww.asobit-netshop.jpからゲッツ。
新成人の方、おめでとうございます!昨年成人した村野てっかんです。
さて成人でも成人でなくとも、今みなさまは期末レポートやら試験やらを抱えて大変な時期かと。かく言う自分もそうですがね。そんなお疲れのところに、ふとした「癒し」を与えるのがこのれびゅーの使命!冬の雪原に咲く一輪のように、さりげなく強く。(ぉ今回はマトモな雰囲気ですよ!!)
まず画像について。これで癒されてください、萌え~ではなくて、今回紹介するプレイステーション2のロールプレイングゲームです。某スタァウォーズのごとくエピソードI~Ⅲまであります。未来の人類の壮大なる宇宙叙事詩というキャッチコピーだった気が。
で淡々と進めている中、「いつからここはゲームれびゅーなんですか?ドイツはどこいったんですか?責任者はどいつですか?直ちに出てきなさい!」というツッコミは当然あると思いますが・・・
このゲームのタイトルの副題に注目してください。
↓これ
ゼノサーガ エピソードⅠ[力への意志 Der Wille Zur Macht]
ゼノサーガ エピソードⅡ[善悪の彼岸 Jenseits Von Gut Und Bose]
ゼノサーガ エピソードIII [ツァラトゥストラはかく語りき Also Sprach Zarathustra]
これは何を隠そう、、ニーチェの作品のタイトルなのだぁ!!!
と勝ち誇ってもどうしようもないんですが、ね、一応「文GO!れびゅー」になってるでしょ。
要は、このゲームはニーチェ哲学を基にして作られている、ということなのです。永劫回帰っていう彼の概念があるそうで、世界の滅亡と再生が繰り返されてるというようなもの。それを主人公たちの成長を描きつつ、追っていきます。では登場人物紹介↓
・主人公は両親・恋人を亡くした22歳の女性。親しい人の死が身近にあった過去を持つ彼女が夢中になるのは、恋人の遺志をついで、人の心を持った兵器の開発を完成させること。
・150年生きる、自殺し再生されたサイボーグ。生前の記憶にさいなまれ、意識の消滅という完全な死を望む。
・天才科学者によって娘に似せて作られた、心をもつアンドロイド。「いいことをすれば必ず人間になれる」という父の言葉を信じている。
など、まぁSFっぽい設定ではありますが、そこに描かれているのはまぎれもない人間の感情です。たとえ未来になっても、人間は他人を愛し、憎み、助け、傷つけあう。心とは、存在とは、信仰とは、命とは、そんな琴線に触れるエピソードが詰まっています。
てっかんは、エピソードⅠに高校2年生のときに出会って、ニーチェを知ることとなりました。セリフを通して語られる世界観に魅せられ、ほのぼのしたり涙したり、人生について考えさせられた相当思い入れのある作品です。ドイツ語をSFCで履修し始めたことにも、ちょっとは影響しているでしょうね。
注意としましては、少々グロテスクな描写があるので、嫌いな方はスキップするといいと思います。進めるのは簡単ながらも凝った戦闘システムなので、ゲーマーでもそうでなくても幅広く楽しめますよ~あと、哲学用語・専門用語がいっぱい出てくるので、ナゾを解き明かしていく楽しみがあり、攻略本も読み応えがあります。
推定攻略時間3週間くらい×3。期末が終わったら、春休みにでもいかがですか?今すぐ買ってハマっても、苦情は受け付けません(m--m)あとニンテンドーDSでも、『ゼノサーガⅠ・Ⅱ』が発売されているそうですよ。
次回は、ドイツを舞台にしたアニメーションを紹介します。日本のマンガはドイツで大人気だそうですから、いいじゃないですか。だって本のれびゅーより楽しいんだもん ではみんな期末をガンバりまっへん!
編集後記)なしくずし的にふにゃふにゃ路線を歩んでいますが、大目に見てくださいな。
硬いレポート書いた後にはこんなのもありだぜのさーが♪
投稿者 tekkan : 14:18 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月01日
どいつ文GO!れびゅー ”新年記念GO”
画像元:http://www.shinchosha.co.jp/sensho/editor/2005/603545.html
Frohes neues Jahr!、明けましておめでとうございます。
村野てっかんです。今年もドイ研とこのブログをぜひぜひごひいきに、よろしくお願いいたします。
「一年の計は元旦にあり」、今日更新しておくことはきっとブログにとってイイコトである。それに意外と新年ってヒマじゃありませんか?ヒマついでに読んでくれる人がいるかもしれない。そんな想いでお届けします。ホントはいつまでも前回のイヴのイタイタしい文章がトップにあるのに耐えられないだけ
とはいえ、何を書こうかね。”新年記念GO”だしいつものヨタれびゅーじゃなくてもいいんじゃないかな。ここで「施政方針演説2007~美しいドイ研~」をマジメにやってみるのも手だし、「ドイ研新春かくし芸大会~先生とSAたちのネタまつり~」と称して初笑いを提供するのもアリだ。うーん・・・
しかし
なんといっても「一年の計は元旦にあり」である。今日テーマを変えてしまっては、このれびゅーは1年を通してガタガタになってしまう。「ただでさえユルい内容なのに、もはや何もないよう」(このれびゅー史上3回目の使用、ハットトリック)と本当に見捨てられてしまうのではないか。という危惧があり、やっぱり今回もヨタれびゅーを展開することにした。なおてっかんは、コクヨのCM「あれ用紙がないぞ、ようし補給しよう」に笑いのツボを持っているレベルの人間であることを読者諸氏にはご理解いただきたい。
さて、今回は木原武一著『ゲーテに学ぶ幸福術』です。「なんだ、またゲーテか、ネタ切れじゃん」と思った方はある意味正しい。やっぱり知ってる作家の方が読むのが気楽なんだもん。ただゲーテ教信者のてっかんとしては、書店で「ゲーテ」というタイトルに反応してしまうわけなんですよ。この前反応したのは、30~40代向け雑誌でした↓。
オヤジ雑誌はさておき幸福術。「この本の効用」として書いてあるものを挙げてみましょう。
・恋が無ければ、この世は闇
・恋する者の幸福
・プラトニック・ラブこそ真実の愛?
新手のしゅうきょ・・・ではないですよ、もちろん。「たまたま」てっかんの印象に強く残った部分を選んだだけのこと。「激情は若さの特権である」なんて言われると背中を押されるね。「一年の計は(略)」
恋だの愛だの言ってますが、一番感銘を受けた言葉は、
心の底から出たものでなければ、けっして心から心へ伝わるはずがない。
というものでした。人を動かすのって実に大変。伝えてるつもりなのに、わかってもらえないことは多い。きっと自分も相手の気持ちをわかってないことが多いんだろうな。このれびゅーも・・・自戒します。
他にも様々な幸福術が紹介されています、今年の目標を作る際に参考にしてくださいな。新年にふさわしい一冊だと思って、取り上げてみました!おぉキレイにまとまったぞ。あ、そうそう次回は元旦じゃないから予告してたゲームれびゅーでいいよね(やっぱりユルかった・・・)
では皆様にとって良い一年になりますように。
編集後記)掛け言葉が大好きです。技術を磨きたいので教えてください。「A4でえーよん」、コクヨのヨコクは実にクオリティが高いと思われ。
投稿者 tekkan : 18:19 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月24日
どいつ文GO!れびゅー ”第4GO”
画像はhttp://myshop.7andy.jp/myshop/gutara?shelf_id=02より拝借しました。
真理への意志、これはわれわれをなお幾多の冒険へと誘惑するであろうし、あの有名な誠実、これについてはすべての哲学者がこれまで尊敬の念を持って語って来た。この真理への意志はどのような問いをわれわれにすでに提示したことか!何という奇異な、悪質な、疑わしい問いを提示したことか!それはもう一つの長い歴史物である。
ども、2週間ぶりの村野てっかんです。「偶然にも」今日24日は空いていたので更新します。きっとオレの文章を待ってる人がいると信じて、クリスマスプレゼントを贈りますよ。
さて、冒頭は寂しさのあまり狂ったわけではありません。今回の主役、ニーチェの『善悪の彼岸』の第一章です。ちなみに彼岸とは現世とあの世の境界のコトですね。なぜこれを引用したのか、賢明な読者諸氏にはお分かりでしょう。
読む気しねぇだろ、この作品。
いや、読んだんですよ100ページくらい。一応「れびゅー」ってタイトルなんだし。でもこの人ずっとこんな「~なことか!」的テンションなんだもん。イっちゃってるとしか思えない。しかも猜疑・放縦・雄勁とか絶対もっと簡単な訳できるだろ、って単語のオンパレード。ドイツ人にとって、原文はどう感じるのでしょうか?今度先生に聞いてみよ。
ところが!今日のてっかんはここで諦めないんですよ。100ページを過ぎたあたりから間奏が始まります。ここは短いので読みやすいし、24日にふさわしいワードが出るわ出るわ。ではニーチェとのコラボレーション、いってみよ!
同じ情念でも、男と女とではやはりテンポに相違がある。それ故に、男と女とは互いは誤解することをやめない。
「好きです」って言った人に「恋愛対象にはならない」と言われた1年前。
両性は互いに騙し合う。彼らは根本において、ただ自分自身を尊び、愛しているにすぎないからである。このようにして、男は女が和やかであることを望む。しかし、ほかならぬ女こそは、どんなに外見上の和やかさを練習したとしても、本質上は和やかなものでなく、さながら猫に似ている。
あの実りある会話も、あなたのステキな笑顔もすべて見掛け倒しで、オレはそれに騙されていたのか?
愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる。
追いかけるべきなのか、もう身をひくべきなのか、いつも分からない。脆すぎるバランス。
「君が私を欺いたことではなく、私が君をもはや信じないことが、私の心を揺り動かすのだ。」
辛い想いをしながら自分の中で渦巻く感情は整理され、さよならの決意へと変わっていく。
いいねぇ、ニーチェ。ココロにしみるねぇ。
おぉ、ディスプレイがよく見えなくなってきたよ・・・><
はい、というわけで最初のハードルは高いですが、さすが巨匠と称されるだけあって実り豊かな世界が広がっています。これを読んでいる方、聖なる夜にはレッツ哲学っ!(違)
次回は文豪からは離れて(ネタが尽きたので)、ドイツっぽいゲームやアニメを紹介しようかなーと。(注)てっかんはいわゆる「オタク」ではありません!(念のため)
ではみなさま、Frohe Weihnachten&Frohes neues Jahr!
来年もドイ研をよろしくです!
編集後記)恋愛は実践あるのみかもしれないけど、その合間の想いも大切にしたい。なんて余裕はないんだけどね(苦笑)ニーチェ、当分の間これからもよろしく。
投稿者 tekkan : 15:54 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月10日
どいつ文GO!れびゅー ”第3GO”
次回はヘッセ『車輪の下』です。目標=2週間以内に更新します。
次回はヘッセ『車輪の下』です。目標=2週間以内に更新します。
次回はヘッセ『車輪の下』です。目標=2週間以内に更新します。
ぎゃぁー
最近の座右の銘は、「口は災いの元」。SAの村野てっかんです、こんばんは。この目標を覚えている方が何人いるのかナゾですが、武士に二言はない。据え膳食わぬは男の恥。そんな意味不明なイキオイのもと、更新します。
画像はamazonさんより拝借。今回の作品はいわゆる「名作」のため、知ってる方も多いと思われ。自分は中学校のとき、夏休みのオススメ図書なんてものにピックアップされていたので読みました=もう内容覚えてないよう。読み直してちゃ〆切間に合わないよう!
とりあえず、背表紙先生を頼りに記憶の糸をたどると、「主人公が神学校に入って、勉強がんばろうとするんだけど、途中で規則がイヤになっちゃって、脱走して、町工場で働きながら人生を見つめなおす」というあらすじになるわけですな。
で、なんで自分がこの作品を扱ったかというと・・・
てっかんも私立中学というとこに通っていて、わりと主人公の気持ちに移入しやすかったんですね。ただし主人公は勉強家で、神学校には2番で入ったというツワモノですが。入学しても彼はマジメで模範生、けれど周囲に影響されるうちに、精神を病んでしまうのです。純粋で多感な心根をもてばこその悩み。
これを読んだ中2のてっかんは、「このままでは自分も車輪の下に潰されてしまう、脱マジメ・脱いいこちゃんだ!」という変な思い込みをしました。(もとからマジメ&いいこちゃんじゃなかったっていう説も濃厚ですが)。授業中に数字ゲーム(『古畑任三郎』を参照あれ)を付近の人とやり、先生に「授業延ばすな!」と文句をいい、麻雀を覚えスキー合宿で打つなどと、いわゆる反抗期を過ごしました。
こうして潰れずに済んだか(別にそんなふかーい意図は無かったケド)と思いましたが・・・
このころ自分が多感な時期だった、っていうのはまぎれもない事実で、やっぱり悩むことになったのです。時は1999年でしたね。ノストラダムスの大予言は外れたけど、僕たちはもうすぐ死ぬんじゃないかとの終末思想にとらわれたのです。いつ北朝鮮からテポドンが飛んできてもおかしくない。いつ原子力発電所が爆発してもおかしくない。そして衝撃だったのが『エヴァンゲリオン』。その生々しさに「死にたくない」と恐怖しました。
自分がこの軽い鬱期をどう克服したのかは覚えてないんだけど、それ以来ネガティブが怖いのか、ポジティブ思考がてっかんのベースとなっています。この一連の過程の最初にあったのが、『車輪の下』であったというわけで、今回取り上げました。いわゆるターニングポイントってやつですかね。
ヘッセはこれがダントツに有名だけど、『デミアン』・『幸福論』なんかも評価が高いらしい。てっかんの「積読(つんどく)棚」に入ってます。お正月にでも読むかーいやレポートやるべきかー(逃げの一手)
てな訳で、あらかた私事でしたが、れびゅーでした。やった、数ページしか読んでないのに書けちゃったYO!
次回はニーチェです!哲学の巨匠です!きっと意味不明の文章になるDeath!じゃあまた目標は2週間後で。(カレンダーを見る)・・・
24日。
えーと、この日は・・・きっと・・・予定があるんじゃぁないかなぁ・・・「もし万が一」更新したら、コメントくださいな。男性でもウレシイですが、女性だともっとウレシイっす(邪)
編集後記)「こんなものはれびゅーじゃない!」って苦情受け付けます。マジメなものを期待されてる方にごめんなさい。てっかんがマジメじゃないのはヘッセのせいです(ぉぃ
投稿者 tekkan : 19:18 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月26日
どいつ文GO!れびゅー ”第2GO”
こんばんは、ドイ研の村野ことてっかんです。みなさま覚えていただけたでしょうか?
さて、前回のこのコラムで「三田祭休み中に更新する」との誓約をしましたね。ブログよりレポートなのにぃ。。。首絞めるようなことしなきゃよかったぜぃ。 張り切って書きたいと思います。
今回は『座右のゲーテ』(斉藤孝、光文社新書)を取り上げました。まずこの本、『壁に突き当たったときに開く本』というサブタイトルです。さらに冒頭で彼は「ゲーテの魅力に取り憑かれた」と述べ、「人類最高レベルの資質を持った人間」と評価しています。この言葉に私は衝撃を受け、「新手のゲーテ教じゃないですか、危ないカモ」 興味津々でした。
内容としては、ゲーテの言葉を引用して、それに作者がコメントするという形式が31章あります。ではまず、人類最高レベルの言葉をとくとご覧あれ。
「いろいろ研究してみたところで、結局実際に応用したものしか、頭にのこらないからな。」
「なにもかも独学で覚えたというのは、ほめるべきこととはいえず、むしろ非難すべきことなのだ。」
「人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものなのだ」
「やたらと定義したところで何になるものか!状況に対する生きいきした感情と、それを表現する能力こそ、まさに詩人を作るのだよ。」
わりとまともでしたね。いやそれどころか、「うん、そうだ!」ってものが結構多いんですよ。
このような実際に役立ちそうな言わば格言、が寄せ集められています。作者のコメントも具体例が豊富でよろしい。例えば独学のやつにはSFCが出てきますよ!!作者曰く、「SFCには、アメリカナイズドされた個性的な気風、学風があり、教員たちは、オープンで柔軟性に富んだ学習スタイルを意識して教鞭を執っているはずである。」先生方胸に手を当ててよく考えてみてください はっ、なんか変なこと書いた??うんうん、そう、いいい学習スタイルだよね!
この他、『ゲーテ格言集』っていう文庫もあったと思うので(これは引用だけ、コメントなし)、ゲーテ教にハマった方は読んでください。
ちなみに、てっかんは『若きヴェルテルの悩み』『ゲーテとの対話 上・中・下』を読みました。ゲーテ教どっぷりです。ミイラ取りがミイラに・・・次の信者はキミだ!
次回はヘッセ『車輪の下』です。目標=2週間以内に更新します。
編集後記)このブログ、テンションをつかみかねています。。。五里霧中、ゲーテに夢中。
投稿者 tekkan : 17:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月17日
どいつ文GO!れびゅー ”第1GO”
みなさまこんばんは、SAの村野改め「てっかん」です。
2回目の投稿ですね。各SAが連載コラムをやっているのに刺激され、今回から始めます。
秋の夜長に読んでみてくださいな。
まずこのアタマの悪そうなコラムのタイトルから説明いたしましょう。
「どいつ文GO!れびゅー」、この文字を見たとき、おそらく3種類の読み方とイメージがあると考えます。
①ドイツ文GO!れびゅー→「ドイツ語のオススメの文章をレビューするんだ!」
②ドイツ文豪!れびゅー→「ドイツの有名な作家を紹介するコーナーですね!」
③どいつ文豪!れびゅー→「俗に言う文豪ってどいつだろぅ?選んでみよう!」
さて、どれでしょう??
答えは②と③の間で、「どいつ」でシャレを作ろう&文豪ってカタイから文GO!にしようという意図です。。。秋の夜は寒いですね、みなさま風邪に気をつけてくださいです。
気を取り直して、内容に行きましょう。ドイツの有名な作家の文章をレビューして、興味を持ってもらいたい・作品を読んでもらえたら更にハッピー♪というのがこのコラムの趣旨です。
とはいえ、O熊先生やF田先生でもないてっかんに哲学や文学は語れません。W谷先生に丸投げするわけにもいかないし。ならば・・・
有名な作家に「関連する」作品を紹介すればいいじゃん。
との結論(別名:開き直り)に至ったわけです。内容が無いように見えて、意外とあるんですよこのコラム。
で、今日は冒頭の写真にある斎藤孝さんの『座右のゲーテ』(楽天ブックスより引用)を持ってきました。ドイツの作家と言えばゲーテ、ドイツのサッカーと言えばヴェルダーブレーメンであります。
が、このコラムの唯一にして最大の弱点は、
てっかんがまだ作品を読んでいない
ことにあります。レビューしたくても出来ません!散々期待を煽っておいたのにごめんなさい。
とりあえず来週の三田祭休みで、この本のレビューを書きます。それまで覚えててくださいね、では。
編集後記)このブログはSAの文才の無さを競うものではありません。